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【閑話休題】時計が再び止まる。

子供が妻の体内で命を宿した時から、奇跡的に動き出した時計。

7月上旬、我が子の6ヶ月の誕生日を見届けたかのように、再度停止した。1年と3カ月動いていた。

あるイベントで配られた販促グッズであったが、亡き父が亡くなる直前まで身に着けていた時計。

この時刻は、父の容体の悪化を受け、私が病院に駆け付けた時間にほぼ近い。



今まで、どうもありがとう。
そして、これからもよろしくお願いします。

maxb-j | 父への想い | 10:59 | comments(0) | - | - |

閑話休題:え”、動き出したって!?本当!?

『俺には、こんな時計で良いよ。』

闘病生活を続けていた亡き父は、こう言って、腕時計をつけた。
【もっと言いの付ければ良いのにな!!】、本当に僕はそう思っていた。

その時計は、その1、2年前に僕が東京ビックサイトであったか、幕張であったか、IT関連の展示会で、もらった貰ったものでした。亡き父は、彼の人生最期の日、2004年12月某日まで左腕につけていた。

亡き父の死の数ヵ月後、その時計は止まったのだった。

母はそれを時計屋に持っていったそうですが、
【これはー、電池が切れたら終わりのもので直らないですね。】
とのことで、そのまま記念に持っていたらしい。

ゴルフの練習のため、4月26日に実家に戻ると、母が
『不思議なもんよね、時計が動き出したのよ。』と言う。
『え”、動き出したって!?何が!?ん?、本当!?』

まるで生命が宿ったかの様に、新たに息を吹き返したのだった。

【すげーな、すげー、何もかも、、、、。】

妻と語る。

『入籍日も偶然同じだったし、本当に不思議なもんだな。』
『私、お父様に会ったことないでけど、いい方向に導いてくれているような気がして、いつも感謝しています。』

正直、生前の父とは対立していたことが多かったが、大変やさしい男であったことを思い出したのだった。

亡き父の時計01
亡き父の時計02
亡き父の時計03

それでは。
maxb-j | 父への想い | 00:00 | comments(0) | - | - |

閑話休題:お花のプレゼント

母の幼友達が、父のためにお花を持ってきてくれました。

感謝です。

花の贈り物01
花の贈り物02

それでは。
maxb-j | 父への想い | 23:21 | comments(0) | - | - |

閑話休題:花と和菓子

母がお花と和菓子を頂きました。
もちろん父の仏壇へ直行です。
でも和菓子は早く食べないといけないようです。
花、花、花和菓子
これ以上に太らないように気をつけないと!

それでは。

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maxb-j | 父への想い | 11:35 | comments(0) | - | - |

閑話休題:父よ、安らかに

昨年のクリスマスは、僕達の家族にとって忘れることの出来ないクリスマスとなった。そういう意味では今年は喪中の年であり、イベント的な外出は控え気味の、一部の親族を交えた静かなクリスマスとなりました。

昨年の12月19日の未明に亡くなった父の遺体は、病院から父と母の部屋に搬送された。元気だった頃のように、まるで寝ているようであった。

父が亡くなった翌日には、湯灌・旅支度と納棺が行われたが、目的の斎場が、24日のクリスマスイブまで空いていなかったため、父の遺体は、その後5日間にわたって、その部屋に安置された。

今から18年前に亡くなった祖母と同じ斎場で、父の葬儀を行いたかったのである。僕の強い希望であった。
僕は祖母のもとで4歳ぐらいまで過ごしており、言わば祖母は、第二の母であり、同じ場所で父の遺体を焼いてもらいたかったのである。

通常であれば、3日後には火葬されいてるそうであるが、結果的に、この長い遺体の安置期間は、僕達の家族・親族に落ち着く機会を十分に与えたのだった。

未明に病院からの連絡があり、病院い到着したときには、父は、もう息をしていなかった。既に静かに息をひきとっていたのである。あっけなかった。
当然のことながら母が一番、呆然としていた。
この5日間、亡くなったとはいえ、全く動かぬ父の顔・姿を見ることが出来たのは、僕達に現実を理解するのに十分な機会を与えたのであった。4日目位からは、父との別れに皆の覚悟が出来つつあったように感じた。

24日の通夜には、クリスマスイブであるにもかかわらず、多くの方々にご会葬頂いた。僕のビジネススクールの先生方からも生花を2基頂いた。また、お世話になっている企業の社長直々にお越し頂いたり、ある企業では、社長以下、全従業員からの香典も頂いた。僕の友人達も忙しい時期にかかわらず、多数ご会葬頂いた。僕の落ち込んだ気持ちを奮いたたせてくれて、大変ありがたかった。もちろん、通夜の前にも多数の方々に弔問頂き、ありがたく思っております。

25日のクリスマスの日は、告別式であったわけであるが、こちらにも多くの父の友人にご会葬頂いた。告別式では、僕が喪主の母の代理で遺族親族代表挨拶をさせて頂いた。母、姉、妹、皆で考えた文章を読み上げた。
そして、花に囲まれつつ、父は火葬されたのだった。

僕ら家族・親族にとって大変長い一週間であり、ゆったりと疲労を感じた日々であったが、改めてに父の人柄と存在を感じた日々であった。

父よ、安らかに。
どうもありがとうございました。
maxb-j | 父への想い | 00:51 | comments(0) | - | - |

閑話休題:父の命日

本日は父の命日です。
あれから一年が経ちました。

いろいろとありがとうございました。
これからも僕らの家族を暖かくお守りください。

合唱
maxb-j | 父への想い | 00:02 | comments(0) | - | - |

閑話休題:父の一周忌

本日は父の一周忌でした。

盛大にというより、身内だけで質素に執り行ないました。
『おっ、ありがとぅ。』という父のやさしい声が聞こえるような気がします。

合掌

父の仏壇_一周忌
maxb-j | 父への想い | 21:12 | comments(0) | - | - |

閑話休題:父の一時的な回復

昨年の今頃であろうか?よく覚えていないが12月に入っていなかったことだけは確かだと思う。

緊急入院をした父は、2本足で立ち上がって病院の洗面所からベットまでをゆっくりであったが、確かに歩いてるのを見かけた。父は一時的に、急速に回復していたのである。

『あれ〜、お父さんじゃない?さすがだね!不死身だ!』と姉に言った。
姉と僕は、病院の主治医に呼ばれ病状の説明を受けに来ていたのであった。父が余計な心配をするのを避けるため、我々は避けるように隠れたのであった。父は気付いていなかったようである。

今思えば、父が2本足で歩くのを見る最後の機会であり、立ち話の出来た最後の機会であった。

最後というのが分かっていれば、万感の思いを込めて話かけていただろう。語りあったであろう。

無念でならない。
maxb-j | 父への想い | 22:29 | comments(0) | - | - |

閑話休題:父と過ごした最後の夜

いつ父の容態が変化するのか不安の日々が続いていましたが、昨年の今日は、父が立てたこの家で父と母と僕が一緒に過ごした最後の夜となりました。

2004年11月20日午前2時頃、父は救急車に運ばれ、こよなく愛したこの家を出ることになりました。そして最後の入院をすることになるのでした。

父の話、家族の父への思いの大部分は非公開で記事にまとめておきたいと思います。
maxb-j | 父への想い | 23:15 | comments(0) | - | - |

閑話休題:ちょうど一年前に、

ちょうど1年前に、父が最後の退院をしました。

家族と暮らすことを熱望し、それが実現したものでした。
そう長く生きることが出来ないこと、皆で過ごす期間がそう長くないことは、父を含め我々誰もが分かっていました。

今思えば、父にとっては、これが最後の退院であり、また、長かった入院生活から開放され、念願の家族と一緒に過ごす、最後の一月足らずの期間だったのでした。

父さんへ
お元気にしてらっしゃいますか?
maxb-j | 父への想い | 20:37 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
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